2005年3月 JR完乗のための旅  2005/5/9更新   戻る
初めて利用する新幹線品川駅。

名古屋駅で見かけた発車を待つ南紀特急。

名古屋からは中央西線で恵那へ向かい、恵那駅で乗り継ぐ明智鉄道は旧国鉄明智線で未乗線区。
明智線は急勾配が多く、すぐ33‰の登りにかかる。

 
明智鉄道の明智駅に到着。明智線の完乗達成。
 

明智から多治見まで引き返し、美濃大田までの太多線も未乗だったが、完乗達成。

旧越美南線、現長良川鉄道の始点の美濃太田駅。

 
終点の北濃駅までは2時間。長い盲腸線で、終点は積雪。山の向こうに越美北線があるが・・。

関駅まで引き返し、名鉄関線に乗り換える。路面電車だが専用軌道もある。
車内はクロスシートだった。

終点新岐阜駅にて。

大垣市内のビジネスホテルをインターネットで予約済。岐阜から大垣までは快速電車。

樽見鉄道の終点樽見駅。旧樽見線の完乗達成。

国鉄完乗には関係ないけど、ナロー鉄道の三岐鉄道北勢線に乗るために桑名で下車。
近鉄とJRの共同駅の桑名駅と別駅舎の西桑名が北勢線の始発駅。
堂々の電車4両編成でナローとは思えない貫禄にびっくり。


 

途中駅の楚原駅。

 



近鉄四日市から近鉄のナロー鉄道に乗る。

 

近鉄四日市駅からJR四日市駅まで歩き、快速「みえ」に乗り、津へ。
伊勢鉄道は私鉄だがJRの特急が通過する。今回、完乗達成。
津で再び近鉄に乗り換えて、伊勢中川を経由し特急で大和高田へ。JRの高田駅まで歩く。
高田から和歌山まで長い未乗区間をロングシートの各駅停車の電車で完乗。
奈良和歌山県境の山間部の駅がスイッチバック駅でびっくりした。
紀勢本線の未乗区間の和歌山・和歌山市間に乗り継いで紀勢本線の完乗達成。
南海電鉄に乗り継ぎ関西空港駅へ。JRの特急「はるか」で新大阪へ。
関西空港線と西九条・新大阪間の完乗達成。
大阪環状線の京橋から尼崎までの地下鉄のJR東西線に初めて乗り、三宮へ。
インターネットで予約しておいたビジネスホテルに泊。
翌日は、特急「スーパーはくと」で未乗区間の智頭急行線を完乗。
雪のためダイヤが乱れていた鳥取を経由し、米子から久しぶりに「やくも」に乗る。
井原鉄道に乗るために総社駅に下車。総社駅は33年ぶりだ。
井原鉄道のディーゼルカー。

尾道に着いたのは日が暮れた後となり、駅の近くでお好み焼きを食べた後、山の上のホテルへ。
 

 

我が生まれ故郷の尾道を後にする。

小中高の学校時代を過ごした笠岡に立ち寄る。変わり果てた街の姿に唖然とするが。
町外れの伏越港は昔の面影があり

遊び場だった笠神社も昔のまま。

母校の笠岡小学校もそのままで。
町並みは区画整備事業のせいで変わってしまい、私の育った家は道路になっていたが
駅の建物が昔のままなのが私にとっては一番の救いだ。
故郷の笠岡も後にする。

私が通っていた岡山県立笠岡工業高校の学園祭で
昭和47年土木科の生徒たちが瀬戸大橋の模型を制作し展示していた。
そのころ私はそれが途方も無い夢にしか思えなかった。
「電車が橋を走って海を渡る」








四国は味わい深い私鉄が多い。
実は琴平電鉄に乗るのは初めてだ。
岡山発徳島行という鉄道ファンには涙物の特急に乗って志度で下車した。
志度から高松に向かう2両編成の電車は瀬戸内海の海沿いを走った。
 

 

今回の旅行で、旧国鉄の明知線、太多線、越美南線、樽見線、伊勢線、和歌山線、紀勢本線、
と特急「はるか」の走る貨物線
新しく開通したJR関西空港線、東西線
及び、旧国鉄時代鉄建公団が建設中だった第3セクターの智頭急行、井原鉄道
の全区間完乗を達成し、乗車区間はJR(国鉄)22263.4Km (92.671%)となった。

宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」が無ければ、人にバカにされそうな数字である。

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