2008年11月 はやぶさ乗り納めと佐世保線・湯前線
  2009/2/5 up   目次へ戻る
昨年11月、九州の元国鉄在来線の未乗区間を完乗するために旅に出た。
仕事の無い土曜日曜を使うため金曜発のはやぶさに乗った。
はやぶさはそれが最後の乗車になりそうだ。
20数年前に東京から西鹿児島まで乗って以来、4回くらいしか乗っていない。
これを書いている2009年2月現在まだ走っているが、来月廃止される。

半月前に寝台券を入手したが、その時既にB寝台の上段しか空きが無かった。
直前まで個室や下段のキャンセルを待ったがだめだった。
B寝台の上段だけ窓が無く景色が楽しめない。
ロビーも無いので、今回は景色は半分諦めた。
2年前富士に大分から東京まで乗ったとき、東京で降りた人は疎らだった。
今回東京駅のはやぶさ・富士の出発前は大勢の人で賑やかだった。
廃止までまだ3ヶ月以上あると言うのに、さすがに最後の九州寝台だからか。














下段には老夫婦が、向かいの上段には同年代の紳士が乗っていた。
その人たちの旅行も仕事や観光ではなさそうなので、
密かに乗り納めをしている私と同じ人種らしかった。
静岡を過ぎるあたりまで通路で粘った後、窓の無い上段に入った。
酒を飲んだ後、本を読むうち寝てしまった。名古屋は記憶に無い。
目が覚めて時計をみたら岩国を過ぎていて、ベッドから降りたときは、
柳井を過ぎて瀬戸内海が見えていた。
寝台列車で目が覚めて明けきらぬ朝の遠い地の景色を見るのは心地よい。








下関と門司で機関車の交換がある。
大勢がホームに出て見守った。
下段の老紳士も向かいの上段の紳士も見に行った。




途中で信号による遅れというのがあって小倉で10分ほど遅れていた。
鳥栖での乗り継ぎに失敗するとその後の旅程がすべて狂ってしまうので、
ひやひやしたが、鳥栖では遅れが7分に縮まってなんとか間に合った。
私は向かいと下段の人たちに別れを告げて鳥栖で降りた。
鳥栖で長崎本線に入る特急に乗り継いだ。



佐世保線に乗るためである。なぜか幹線の佐世保線に乗った記録が無い。
さくらには何度か乗ったが、いつも長崎行きに乗っていたせいだ。
今回肥前山口と早岐の間が初乗りになる。毎度のことながら心ときめく。
早岐で長いみどり・ハウステンボス号の編成が二つに分かれるのを見届けた。


私は松浦線の有田と伊万里の間の未乗区間に乗るために有田に引き返した。
第三セクターになって生き残っている有田からのローカル線は情緒があった。
1両編成のDCは土曜のせいか部活帰りらしい高校生でいっぱいだった。




伊万里駅は分断されてJRの駅まで道を超えて別の駅舎に行く。
どちらも新しい市民文化センターのような駅舎だが共に閑散としていた。







伊万里から西唐津に移動して今回3つめの未乗区間である佐賀線に乗った。
山本から唐津にかけての川沿いは綺麗だったし佐賀への山越えも良かった。
佐賀から鳥栖までかもめ・ハウステンボス・みどりの長い編成に再び乗る。
3階建の特急は珍しく編成もかなり長い、それに3つは塗装が微妙に異なる。
鳥栖からリレーつばめに乗り継ぎ新八代で下車する。


新八代では殆どの客がホーム向かい側に停まっているつばめに乗り継ぐ。
私はエスカレータで2階の改札口に下り、さらに階段で1階に下りた。
そして在来線の新八代駅のホームから人吉行きの九州横断特急に乗り継いだ。
人吉で一泊し元国鉄の湯前線の1番列車で湯前に向かった。
湯前線は初乗りで、この線の乗車で九州の元国鉄在来線は完乗となる。
下りは真っ暗だったが上りは夜が明けてしかと景色を目に焼き付けた。








短い乗り継ぎ時間で吉松行きに乗り換える。
DC1両、お客は3人。人吉〜吉松の区間も乗り納めになる予感がした。
真幸のあたりで霧島連山の雄大な景色が見られた。







吉松での折り返し時間に駅前をぶらぶらした。
お店は無いが駅前広場は見るものがいろいろある。
まずはランプ小屋。
客車の照明に灯油ランプが使われていた頃の灯油保管庫で現存は珍しい。


SLが保存展示されていて塀で囲まれていないのが嬉しい。
別の場所にはSLの動輪も飾られている。
さすがに元鹿児島本線の主要駅であった貫禄がある。
ホームも長いまま使われている。
10両編成くらいの茶色の客車列車が今にもSLに牽かれてやってきそうだ。






人吉に戻り、短い時間で九州横断特急に乗り継ぎ熊本に向かう。
球磨川沿いを走り車窓も変化に富んで楽しい。
しかし線形が悪く高速で駅を通過出来ない為、普通列車のような走り方だ。
上熊本まで行き、熊本電鉄に乗る。












古い東急の車両が両運転台に改造されて1両で北熊本まで走る。
北熊本で御代志行きの2両編成の電車に接続していて終点まで乗る。
終点はバスターミナルで降りた客は各方面行きのバスを待ち乗り継いだ。
折り返しの電車に乗り終点の藤崎宮前まで乗る。
終点直前で細い道路上の片隅を走るようなところがあってワクワクする。
熊本城に立ち寄り路面電車で熊本駅へ。










博多で100系のこだまに乗って新下関で下車。
山陽本線の小野田で乗り換えて小野田線に乗る。
短い線だが未乗区間だ。しかし日が暮れてしまって外が見えない。
日が暮れてからの乗車は乗車と認めない几帳面なマニアもいるらしい。
私は気にしない。2両編成の電車の車内には線区に特有の個性がある。
私は充分にそれを感じつつ初乗りを楽しみ雀田で降りた。






反対側の短いホームにちょこんと停まっているのが長門本山行きの電車だ。
1両編成。もちろんワンマン。乗客は私以外に2人。オジサンとオバサン。
勤め帰りの定期客のようで乗務員とも馴染みらしい。
終点は真っ暗闇の中だった。ホームを離れると電車の窓が闇の中で明るかった。
引き返し、雀田から新山口行きの2両編成の電車に乗った。
ひかりで岡山まで行き後から来る最終の名古屋行きのぞみに乗り換えた。
名古屋から東京行き夜行快速に乗った。その夜行も無くなる噂がある。
手元に2月号の時刻表がある。3月の時刻改正が載っていて、
はやぶさ・富士は消え、大垣〜東京の夜行快速は臨時列車になっている。

はやぶさ・富士が消える理由は利用者が減っただけではない。
車内は時代遅れで、かつ車体の鉄板は錆が浮いてボロボロだ。
代わりの車両はもはや無い。
かと言って新しい車両を新製するほどの必要性も列車には無い。
夜勤の乗務も減らしたいし、東京駅での機関車の付け替えも効率悪い。
夜行列車は東京や北九州地区では過密ダイヤの中で邪魔者だ。
トワイライトエクスプレスの車両も寿命が近づいた。
登場した頃のような話題性も無くなって空席も目立つ。
北斗星も同様だ。北陸号もボロボロの車体を引きずって走っている。
ブルートレインは数年後すべて消えるであろう。
サンライズ出雲・瀬戸もシーズン以外はがらがらだ。
車体はまだ使えてもじきに季節列車になるのは間違い無い。
カシオペア号もタイ国鉄あたりに譲渡されて日本から寝台車は消えるだろう。

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