2007年

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独身時代、年に何度も一人旅に出ていた。無論、列車に乗って。
最近は、そうは行かない。数年に1度、家族に申し訳ないと思いつつ、・・・

だったのだが、今年になって鉄道旅行に頻繁に出かけている。
その分登山の回数が減った。家族は私の鉄道旅行に一定の理解をしてくれている。
1月は、鹿島鉄道、仙山線、仙石線新線部分完乗、越後線完乗、弥彦線完乗、ガーラ支線完乗。
3月は、五能線、十和田観光電鉄完乗、東北新幹線八戸完乗、栗原田園鉄道完乗。
5月は、只見線SL列車。
そして今回の7月は、新型(でもなくなったが)寝台電車「サンライズ出雲」初体験、
そして餘部鉄橋での撮影納め、キハ181系「はまかぜ」乗り納め、そして、
北近畿タンゴ鉄道の特急「タンゴディスカバリー」と「タンゴエクスプローラー」初体験、そして、
旧宮津線完乗、宮福線完乗、舞鶴線完乗、小浜線完乗を目的にしている。
一応、それぞれの旅には目的が有って、毎回未乗線区を減らしたり、
貴重な列車の乗車をしている。
貴重な旅の機会なので無計画で気まぐれの旅には出来ない。
多少身分不相応の贅沢であっても好奇心を満足させたいと思う。
今回は2階建てサンライズ号のA個室寝台を利用した。
A個室内部
583系の窮屈な3段B寝台の中段を利用したのはもう15年位前の事で
料金は数倍するが、個室の広さ、ベッドからの眺め、シャワー設備など
料金以上の快適さを感じる。でも列車内はガラガラで8,9号車のB個室は全室空だった。
米子駅
先行する貨物列車の遅延の影響で岡山を7分遅れで発車。
単線の伯備線で遅れが広がり、米子に15分遅れで到着。下車。
サンライズ出雲は残りの電化区間を消化すべくガラ空きのまま走り去った。
米子駅
ホームの立ち食いそばで朝食。ホームはガラガラ。
乗車券は伯耆大山経由だが列車が通過する為に米子まで来れるという扱いなので、
改札の外に出られず、仕方ないので鳥取行きの特急が来るのをホームで待つ。
1番線の長いホームには立ち食いそば屋さんが2軒あるが客はいなかった。
山陰本線にはやはり機関車に牽かれた長編製の客車列車が似合うのだが、・・・
2両編成の振り子式DC特急は時速120キロ前後で走り続け、定刻に鳥取着。
鳥取駅
鳥取は島式ホーム2面の高架駅に改築された。1階には食堂街もある。
便利にはなったが、冬に来た時は、風や雪がホームを吹き抜けていて寒かった。
鳥取では15分で浜坂行きの普通DCに接続する。キハ47だがクロスシートだ。
鳥取駅
浜坂には1番線に到着。2番線に城崎行きの普通DCが発車を待っていた。
駅構内にSL時代の給水塔が残っていて蔦が絡まっていた。
3番線で折り返す後発の特急「はまかぜ」には香住から乗る。
浜坂駅
餘部で下車。餘部のホームも客車時代の残りで8両分ほどの長さがある。
鉄橋改築はTVでも話題にされ、今やここを訪れるのはマニアだけではない。
餘部駅
ホームの近くに撮影場所があり、下りDCを撮影した後ホームに戻ると、
小旗を持った添乗員に連れられたご一行さまがホームに溢れていた。
餘部鉄橋
急な坂道を下って国道沿いに出ると観光バスが停まっていた。
バスガイドさんが間も無く左から特急列車が来ますと案内していた。
慌てて、私も国道と海を隔てるコンクリートの壁の上に立ってカメラを抱えて待った。
トンネルで反響する列車の音が聞こえ、そして鉄橋の左から「はまかぜ」号が現れた。
4両編成なのに何故か長く感じた。かつては「まつかぜ」号が13両編成で通過していたが。
餘部は通過だが、鉄橋上の制限速度が25km/hのため、ゆっくり通過して行った。
ゴーという鉄橋の通過音が谷間に広がり、厳粛に感じられる瞬間だった。
餘部鉄橋
餘部から乗った普通DCは香住で特急「はまかぜ」に追い越されるため3番線に入った。
隣の2番線には、浜坂行きのDCが交換待ちで待機している。
香住駅
「はまかぜ」が1番線に入線してきた。1番線から3番線まで列車で埋まる。
この「はまかぜ」は先程の「はまかぜ」が浜坂で折り返してきた列車である。
香住で「はまかぜ」に乗り換える。「はまかぜ」に使われているDCは、
製造後30年以上経っており引退間じかなので是非乗っておきたかった。
香住駅
浜坂始発でまだ二つ目の香住を出たばかりではあるが、車内はガラガラで3号車を独り占め。
車内販売の小母ちゃんが乗っておりビールを買う。隣の4号車もガラガラで、
小母ちゃんは4号車の客のためにワゴンを押して行き、そのまま客席に座ってしてしまった。
はまかぜ車内
広い窓、整然と並んだシート、白いカバー、綺麗な車内だが痛みは激しい。
はまかぜ車内
もっと乗っていたかったが、城崎温泉で途中下車。
電車区間の終点のため4番線まである。1番線には電車特急の「きのさき」が停車してた。
城崎温泉駅
DC特急の「はまかぜ」が走り去った。和田山から播但線経由で大阪へ行く。
新幹線接続ではなく大阪・神戸・姫路と山陰を結ぶ特急であったが、
智頭急行が開通してから、役目が終わった感は否めない。廃車とともに廃止されるであろう。
城崎温泉駅
志賀直哉の「城の崎にて」の街なので1時間ほどぶらぶらする。
城崎駅前通
地方の古い温泉も送迎バスやマイカーでホテルに直行するケースが多いが、
城崎温泉は駅前通の賑わいもまだ健在で街並みも綺麗だった。
城崎温泉街
豊岡まで普通DCで行き、豊岡で北近畿タンゴ鉄道に乗り換える。
国鉄時代の宮津線で、豊岡から網野までが未乗区間なので、
それに乗ることが今回の目的の一つである。独特のスタイルのDC特急に乗る。
豊岡駅
ハイデッカー式で窓も大きく展望が良い。
豊岡から乗ったのは私一人だったが、途中駅で少しずつ客が増え、宮津では半分位埋まった。
福知山まで乗車して、未乗だった宮福線も完乗を達成。
思いがけず福知山は高架化工事が進行中で、期待していた昔の面影は無くなっていた。
普通DCを乗り継ぎながら木津温泉まで引き返し、泊。

翌朝、木津温泉から西舞鶴経由京都行きの特急に乗り、西舞鶴まで行く。
この特急車両も北近畿タンゴ鉄道所有のもので独特のスタイルをしている。

木津温泉駅
やはり車内はガラガラで、今回利用している特急はどれも空いている。

2両編成だったが、さすがに2両のままでは京都まで行けないらしく、
JR区間の為に北近畿タンゴ鉄道の車両を増結する。
西舞鶴駅
東舞鶴まで115系の普通電車に乗る。
舞鶴は戦前戦後、重要な港町だった。かつて東舞鶴から港までの支線もあった。
島式1面の高架駅化と駅前広場整備の関係なのか、駅前は寂れお店も無く活気は無い。
想像していた大きな重要駅の雰囲気は無く、近代化された小浜線の電車の中で発車を待った。
美しいリアス海岸の車窓を期待していたが終点の敦賀まで海は殆ど見えず退屈だった。
小浜駅
小浜で少し停車時間があるのでホームに下りたが売店も自販機も無く味気ない駅だった。
敦賀で北陸本線の長浜行き普通電車に乗り換えたら、小浜線の電車と同じ形式の電車だった。
敦賀を出ると上り線と下り線は大きく離れ長浜行きはループ線を通過。
湖西線との分岐もダイナミックで車窓は楽しい。米原から300系のひかりに乗って東京へ。
もしかしたら、300系のひかりもこれが最後になるのではと思った。
名古屋〜東京間はのぞみに抜かれないが、ひかりのせいなのか空いていて3席を独占した。


今回の旅行で、
近畿地方の4線区間:豊岡〜網野、福知山〜宮津、西舞鶴〜東舞鶴、小浜線
の完乗を果たし、残るは20線区となった。

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